2016年01月21日

京極夏彦『絡新婦の理』

 京極堂シリーズ(百鬼夜行シリーズというのが「公式」らしいが、『巷説百物語』も「又市シリーズ」の方が据わりは良くないか?)の第五弾である。
 推理小説の嫌いな友人は「あの、ノート執らなくちゃならない奴など読む気がしない」と言っていた。そう、お互い記憶力は頓に減退中。京極夏彦に嵌って久しいが、この『絡新婦の理』は、文字通りノートを執り、年表づくりまでしたくなる。「蜘蛛の仕掛け=理ことわり」が、何度読んでも鮮明な像が摑めない。

 若い友人は京極堂シリーズでは『鉄鼠の檻』を一押ししていたが、デビュー作の『姑獲鳥の夏』はともかく、『塗仏の宴』までは甲乙つけがたい。

 と言うことで『絡新婦の理』である。ラストシーンを冒頭に持ってきたから「犯人」の描写のミスリードぶりも許されるという京極夏彦の仕掛けであろう。そして章毎の視点が異なり、それに被せて時系列も錯綜している。たびたび、前の筋を振り返るが、それにも増して、次へ次へ読み進めたくなってしまう。後半の三巻、四巻はそれこそ、一気に読み耽ってしまった、三度も四度も読んでいるというのに。

 悔しいから、「伏線」というよりは、本線を進めるための、そしてミスリードを誘うために挿入された「エピソード」の絵解きをしよう。さあ、正誤や如何!

「第一章」これは解りやすい。川新と八千代だ。
「第二章」男は平野だ。女は? 始めは「茜」だと思ってしまった。そうか「葵」か、硝子細工の眼。まさか「一目惚れ」とは!
「第三章」女は「碧」、未発達の声帯。しかし男は杉浦だと解ったのは後の方だ。これは仕方ないと思うが如何かな。
「第四章」の女は芳江? とすると旦那様は雄之助。これも何度も読んでいたからだろう。このシーンを「茜」は何時、読み解いた? 否、読み解く必要はなかったのだ。
「第五章」男は喜市。女は果敢なげに吐息のような言葉を吐く、これこそ「茜」だ。

 どうでも良いことだが、大財閥総帥の柴田が海棠のような阿呆しか連れていないことがやや結構を外している。ただ第三巻・7章での柴田の「珍しい」激高は見過ごしていたが。

 京極堂シリーズ、否、京極夏彦の作品は、常連メンバーに準メンバーが加わって醸し出す「大舞台」もさることながら、前作の登場人物が後の作品に登場する仕掛けが、まぁ読者サービスなのだろうが、「大舞台」が「廻り舞台」のようで心地よい。『姑獲鳥の夏』での久遠寺医師や話の重要な鍵を握っていた菅野医師(もっとも、本人そのものは登場していない)が、『鉄鼠の檻』で「再登場」。同じ『姑獲鳥の夏』で「呪」をかけられた内藤も、そして『絡新婦の理』でただ一人生き残った織作茜も、『塗仏の宴』できちんと?オトシマエがつけられてしまった。

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2016年01月13日

『オリエント急行殺人事件』

 11日が『オリエント急行殺人事件』で、12日が『ナイル殺人事件』である。
 去年の正月、三谷幸喜版(二夜連続で、第一夜が原作の前半のリメイクで、第2夜は三谷オリジナルの前日談と原作の後半=謎解き)を観て無性にシドニー・ルメット監督のオリジナル版を観たくなった。それに、初見の時は、豪華キャストのあれこれに目を奪われ、イングリッド・バーグマンを「見失った」! バーグマンファンとしては面目次第もない! その他大勢の一人(まぁ、豪華キャストですから、ショーン・コネリーだってその他大勢)として、埋もれてしまうほどの「名演技」なのです! だからこそアカデミー助演女優賞を授賞していたと言うではないか! 

 若い友人と一緒に鑑賞していたのだが、マザコン気味のアンソニー・パーキンスを指して「どうも、『サイコ』のイメージが強すぎて、俳優としては損だなあ」と、つぶやいていた。それを聞いていて唐突に思いだした。そうだ、ヘクターが、最後の脅迫状(最終通告状?)を不用意にも焼き棄てたことが引っかかっていたが、三谷も同様だったのだろうか、馬場舞子に幕内平太(ヘクター・マックイーン)を叱責させていた。
 もう一つ、ラチェット・ロバーツ(被害者であり、極悪人)役のリチャード・ウィドマークを、60年代テレビ映画で人気を博した『秘密指令』のNATO秘密諜報員ジョン・ドレイク役のパトリック・マッグーハンと取り違え、如何に『秘密指令』(その次の『プリズナーbU』も)が面白かったのかを力説してしまった(汗)ので、まあ恥ずかしい失態であったわけだが。件の友人は、リチャード・ウィドマークそのものを知らなかった(苦笑)。

 本作に戻れば書きたいことは山ほどあるが、とりあえずルメット版と→三谷版の配役一覧を。

●ジーノ・フォスカレッリ(デニス・クイリー)【原作アントニオ・フォスカレッリ】
 →1号室 保土田民雄(藤本隆宏)
●エドワード・ベドウズ(ジョン・ギールグッド)【原作:エドワード・ヘンリー・マスターマン】
 →1号室 益田悦夫(小林隆)
●ヘクター・マックイーン(アンソニー・パーキンス)
 →2号室 幕内平太(二宮和也)
●ヒルデガルド・シュミット(レイチェル・ロバーツ)
 →3号室 昼出川澄子(青木さやか)
●メアリー・デベナム(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)
 →4号室 馬場舞子(演 - 松嶋菜々子)
●グレタ・オルソン(イングリッド・バーグマン)
 →4号室 呉田その子(八木亜希子)
●アーバスノット大佐(ショーン・コネリー)
 →5号室 能登巌(沢村一樹)
○エルキュール・ポアロ(アルバート・フィニー)
 →6号室 勝呂武尊(野村萬斎)
○ラチェット・ロバーツ(リチャード・ウィドマーク)
 →7号室 藤堂修【「笠健」こと笠原健三】(佐藤浩市)
●ハリエット・ベリンダ・ハッバード夫人(ローレン・バコール)
 →8号室 羽鳥夫人【名は典子】(富司純子)
●ルドルフ・アンドレニイ伯爵(マイケル・ヨーク)
 →9号室 安藤伯爵(玉木宏)
●エレナ・アンドレニイ伯爵夫人(ジャクリーン・ビセット)
 →10号室 安藤伯爵夫人(杏)
●ナタリア・ドラゴミノフ公爵夫人(ウェンディ・ヒラー)
 →11号室 轟侯爵夫人【名はナツ】(草笛光子)
●サイラス・“ディック”・ハードマン(コリン・ブレイクリー)
 →12号室 羽佐間才助(池松壮亮)
●ピエール・ミシェル車掌(ジャン=ピエール・カッセル)
 →三木武一(西田敏行)
○コンスタンティン医師(ジョージ・クールリス)
 →須田(笹野高史)
○ビアンキ(マーティン・バルサム)【原作:ブーク】
 →莫(高橋克実)

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2015年12月08日

ヴィオランテ・プラシド『ラスト・ターゲット』

 特段、ジョージ・クルーニーのファンではありませんが、タイトルとIMAGICA無料放送に惹かれた(苦笑)。もっとも、ジョージ・クルーニーについて言えば、『オーシャンズ11』でのオーシャン役(ブラビを差し置いて(笑)、シナトラの後釜ですよ)で、印象に残ったくらいでした。
 写真家出身の監督らしく、画面がまるで環境ビデオのように美しい。昼と夜、建物と街並み、山・川・空……。映画も、アクション・サスペンスは、風景のためにあるかのようです。ですから、まぁ昨今のハリウッド映画というより、フランス映画のテイストで、地味といえば地味ですが、「佳作」というところですかね。

 でも、ここに書き込んだのは、ジョージ・クルーニーに足を洗いたいというきっかけを作った、娼婦・クララ役のヴィオランテ・プラシド!
 イタリアの女優ですが、なんと、ちょっとした表情がイングリット・バーグマンそっくり。そう、鼻が特徴です。イタリアと言えば、クラウディア・カルディナ-レですが、なんと言うかその一歩手前のイタリア女優です(褒めているのです)。イングリットと較べれば、まぁ、「プラス妖艶」とでも言っておきますか。ただ、映画と同じく、「地味な女優さん」ではあります。


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2015年11月12日

高倉健『夜叉』そして田中裕子vsいしだあゆみ

 高倉健といえば、薄ぼんやりとデビュー作の『電光空手打ち』56年のポスターを覚えているが、56年といえば「笛吹童子」・「紅孔雀」に始まる東映子ども向けチャンバラ映画の「大スター」中村錦之助が年間20本、30本と主演していた頃。
 錦之助ファンとしては、かの名作たる『宮本武蔵』での、佐々木小次郎役での高倉健を想い出す(若い友人は、この高倉小次郎を観て絶句していた)。63年の『宮本武蔵・二刀流開眼』(監督は内田吐夢、全5部作の第3作目)である。翌年に『宮本武蔵・一乗寺の決斗』、翌々年の65年に『宮本武蔵・巌流島の決闘』となるが、高倉健にとっては、この時期は第1回目の転機か。

 1963年は『人生劇場 飛車角』(宮川役。飛車角=鶴田浩二。ただし吉良常=辰巳柳太郎、おとよ=藤純子の68年作の『人生劇場 飛車角と吉良常』を覚えているが、吉良常=月形龍之介の方は記憶にない)、64年は『ジャコ万と鉄』(ジャコ万が丹波哲郎)、そして錦之助を脇に配した『日本侠客伝』である。そう、「やくざ映画」爆走の黎明期である。そうだ、忘れてはならないのが、『森と湖のまつり』(58年公開、原作・武田泰淳、監督・内田吐夢)の「風祭一太郎」。しかし、この役は敵役を演じた三国連太郎の方がふさわしいともっぱらの評判である。まだ20代の健さんでは可哀想か。しかし『ジャコ万と鉄』は「良かった!」との印象が残っている(もっとも、何十年も経ってからのビデオ鑑賞だが)。だからというわけではないが、「一太郎」は三国にやらせて、脇に回った方が良かったとも言えるが、俳優としては「ひよっこ」の健さんとしては会社の言いなりだった時代であろう。

 第二の転機は、「やくざ映画」が実録物=『仁義なき戦い』!に取って代わられた75年『新幹線大爆破』、76年『君よ憤怒の河を渉れ』、そして77年の『幸福の黄色いハンカチ』(77年は『八甲田山』もヒットした)か。78年『冬の華』、『野性の証明』である。
 80年は吉永小百合と共演した『動乱』と、中野良子に取って代わって、倍賞千恵子が躍り出た『幸福の黄色いハンカチ』に続く『遙かなる山の呼び声』。81年は、『駅 STATION』(「増毛」に行きたくなった!雄冬は国道が開通してもはや陸の孤島ではなくなってしまった)である。

 83年の『居酒屋兆治』は倍賞千恵子に代わって大原麗子で、女房役がなんと加藤登紀子である。どちらの役も倍賞千恵子のニンではないが、釈放されて警察署から出てくる高倉健を待ち受ける加藤登紀子のえもいわれぬ「既視感」。しかし大原麗子との共演はこの一作。翌々85年の『夜叉』は、とうとう田中裕子である。

 女房役がいしだあゆみ。『駅』では冒頭、離婚させられた女房役(ずっと再婚もせず、引き取った息子を育て上げる)でしかなかったが、ここでは、田中裕子とがっぷり組み合った。10代の頃からアイドルとして一世を風靡した(ファンでしたよ)が、儚げで不幸を身に纏っているように見えても、(実生活はともかく)芯の強さを垣間見せている。

 圧巻は、高倉健と田中裕子が二人きりでしみじみ飲み交わしている田中裕子経営の居酒屋「蛍」に現れ、高倉健に代わって田中裕子に対して徳利を注ぐ場面。三者三様に素晴らしい演技だった。まぁ、そんな時は、居心地悪く、しかし、さりげなく横を向くしかないですね、男としては。
 だが、その後、田中裕子のどうしようもない「男」(ビートたけし)の救出にミナミに向かう健さんに、いしだあゆみが「あたしとの15年はなんだったの」となじる台詞は言わずもがなでした。二人とも、生きて帰ってくるとは思ってもいないシーンでしたが。ここですかね、「夜叉の血が騒ぐ」というとんでもないこじつけでストーリーをつなぐのは。もちろん、いしだあゆみが取り乱したら「お芝居」はぶち壊しですから、玄関の前で立ちすくむしかないのでしょう。そしてラスト、「あんたはミナミがよく似合う」という田中裕子の口説きも振り切って、駅で見送る高倉健。でも、演出上でしょうが、「ミナミ」で羽振りをきかせていた頃の健さんは「イモ」でしたよ。
 『冬の華』では、北(足を洗い、北海道の木工場に職を求める)にも行けませんでしたが、美浜(映画では「美国」?)日向で、いしだあゆみと添い遂げ、漁師を全うするでしょう。封印した「夜叉」がいつ何時、覚醒するかは心配ですが。

 ついでといっては何ですが、奈良岡朋子でしょう。あんなに貫禄があり、美しい「霊代」役は初めてです。実際にも大滝秀治亡き後は劇団民芸の代表になっています。

 話は田中裕子に戻る。ファンというわけではない(いゃー、あんな女、怖くて怖くて、というところ)が、前にも書いたが、高倉健の晩年は田中裕子で決まり、でしたね。「あの若さで!」と思ったら、『夜叉』の時は、田中裕子30歳、高倉健54歳です。ちなみに、いしだあゆみは37歳とのこと。

 もう一つ、ついでといっては何ですが、泣き笑いのような田中裕子の表情が、驚くほど永作博美に似ていました。


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2015年08月16日

『あなたへ』

 当然、「高倉健の」とすべきだが、一昨日、四十九日と納骨を済ませた友人のことを思いだしている。そう、病を得て面変わりをした友人だが、なんと、晩年の高倉健に似てきたのだった。それともう一つ、以前見たときは、思いもかけなかったが〈当たり前だが〉、劇中で「結婚生活十五年」と聞いて、「そうだ、あいつも結婚15年だったな」と、いささか思い入った次第である。

 「宇宙」などと彫り込まれた墓石であった。自分で墓を建てた。もちろん、こんなに早くそこに入るとは思っていなかったろうが・・・・。そして、江利チエミとの「不幸な」離婚以降、独身を通した高倉健と違って、50過ぎで再婚し、早すぎる死ではあったが、幸せな晩年であった。そんな個人的想いも綯い交ぜになりなりながらの「映画鑑賞」であった。

 さて高倉健だが、名優というわけではないし、あの一世を風靡した「やくざ映画」も、あの時代ならともかく(昭和残侠伝も日本侠客伝も網走番外地もほとんど観ています。そう、件の友人といつも一緒に観劇していたように思う。もっとも、その時は、あいつが高倉健に似ているとは露にも思わなかったが。池袋の文芸座である)、歴史に耐えうる作品とは言い難いが、しかし、確実に時代を画していた。。
 その後の山田洋次や降旗節男などの作品も良かったし、晩年の『ホタル』や『単騎、千里を走る』も悪くはなかった。そう、やはり高倉健は「歴史に残る大スター」である。

 この『あなたへ』は遺作となったものだが、再び観たいと思わせる映画であった。BSである。
 田中裕子(『夜叉』以来、倍賞千恵子に取って代わった?いや、私の好みで言えば中野良子も忘れてはならないが)の「暗さ」が何か、高倉健とマッチしていた(そして『ホタル』より遙かに感情移入できた)。
 映画は、彼女の「遺言」を巡っての「ロードムービー」だが、多彩な共演者が、それぞれ邪魔にならず、とりわけ、佐藤浩市と余貴美子夫婦(二人の絡みはないが)の造形が印象に残った。あれだけ伏線を張ってくれているのに、初見の時は、気付くのが遅すぎた。

 それにしても、いしだあゆみや大原麗子、そして大竹しのぶも含め、間違いない選択をしている。そして私としては、CMでの共演しかない永島瑛子と、映画でも本格的な共演をして欲しかった。なにしろ田中裕子以上に、永島瑛子の「不幸さ」は高倉健に合う。



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2015年08月05日

池上永一『統ばる島』

久しぶりの書き込みです。
どうも、読みたい「文庫本」(苦笑)がなかっただけですが。
さて、池上永一の短編集(どうも「短編」という奴が苦手なようです)。
池上永一は、一時期はまって、次から次へと読み重ねましたが、
『シャンクリラ』で止まった、大ヒットした(ドラマ化もされた)『テンペスト』も
「ちょっと・・・・」と、読み続けられませんでしたね。
ですから『トロイメライ』ですか、手にも取ってはいません(笑)。

さて『統ばる島』。与那国島も含めて、八重山諸島9島のお話。
「種取祭」の竹富島、「パイパティローマ」の波照間島、「洗骨」の小浜島・・・・
不覚にも、涙ぐんでしまった(まぁ、このごろとみに涙腺が緩んでいます)が、
新城島は「ジュゴン」の話である。
読書途中ではあるが、久々に池上ワールドに浸っている。



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2015年04月11日

ジーン・セバーグ『悲しみよこんにちは』


 やはり見てしまいましたね。
 フランス映画とばかり思っていましたが、英米合作映画です。なにしろ、英国を代表するデボラ・カーとデヴィッド・ニーヴン出演ですから。

 「セシルとシリル」は原作の方ですね。まぁ、映画ではシリル(フィリップ?)はどうでもいい役ですが、エルザ役がミレーヌ・ドモンジョだとは知りませんでした。一般にはブリジット・バルドーの後塵を拝していましたが(バルドー1934生、ドモンジョ1935生)、可愛い、「ニン」にあった役でしたね。「BB」なんて言われて、「MM」のマリリン・モンローと並べてマスコミが騒いでいたのを記憶していますが、バルドー本人も「足元にも及ばない」とか発言しているそうですが、私もそう思います。
 あっ、そうだ「CC」−クラウディア・カルディナーレもいましたね。これで米仏伊が揃いました。可哀想なことに全員「セクシー女優」のレッテルが貼られてます。

 さて、デボラ・カーは何と言っても「王様と私」ですか。ケイリー・グラントとの「めぐり逢い」やグレゴリー・ペックとの「悲愁」、そしてドナ・リードも出ていた「地上より永遠に」などですが、残念ですが記憶にありません(「<ここ>より<とわ>に」なんて言うのだけ覚えていますが)。

 それにしても、まぁとんでもない男ですよ、レエモンは。アンヌもなんで、あんな男と、と思いたいところですが、なんか、それはそれとして見てしまいました。

 若い友人に、「おーい、みんな英語をしゃべってるぞ」と思わず怒鳴ってしまいました。子どもの時は、字幕を追うのすら大変だったので、フランス語も英語もとんと区別はつきませんでした。
 見終わって、彼は、「やっぱりフランス映画だ!」と、文句をつけていました。いえ、アンヌが、「自殺」ではなく自動車事故で死んだ、という件。私はうろ覚えで、セシルの「奸計」に絶望して自殺したと思い込んでいましたから(原作を読み直そうとは思いませんが)。

 『勝手にしやがれ』(フランス1959)の一年前なんですね、『悲しみよこんにちは』は。
 「セシルカット」で有名な、ジーン・セバーグを世界的な大スターにした映画です。でも、残念ですが「超一流」とは行きませんでしたね。というより、この映画は、今となっては、フランス・ブルジョアの(ピケティの題材にもなりようがない)「頽廃」を描いたもの。サガン作品も、青春文学ともてはやされていますが、さて、どうでしょう。「フランス」「青春」と聞くと、ポール・ニザンを思い出してしまいます(苦笑)
 優雅な別荘ライフはコート・ダジュールです。もっとも、地中海は心騒ぎます(笑)。
 
 監督のオットー・プレミンジャーは、マリリン・モンローの「帰らざる河」、フランク・シナトラの「黄金の腕」、「サマータイム」で有名な「ポギーとベス」(1959年)のメガホンを取っているのですね。それにポール・ニューマンの「栄光への脱出」も彼の監督です。そうしてみると私は結構、この監督の映画を見ています。



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2015年03月28日

菅原文太「本来の反知性主義」

 朝日20150326高橋源一郎の「論壇時評」。
 菅原文太である。鮮烈な「仲井真さん、弾丸は後一発残ってるでよ」というセリフを残して逝った男である。新宿のオールナイトで「仁義なき戦い」全四作をぶっ続けで見た。高倉健と比べるとその「認知度」は、はるかに低い。しかし文太である。高橋は「本来の反知性主義」という言葉と絡めて菅原文太を称揚した。タイトルは<健全な「まだ知らない」>である。
 なぜ、この高橋源一郎の文太評がこれほどまでに深く私がこだわったのかと言えば、先年亡くなった「畏友」について、勃然と思い出したからである。

 娘の大学選びに奔走していた彼を、私は揶揄してしまった。そう、「娘」の、「大学」「選び」にそんなにも拘泥する彼が、何故か不思議だった。しかし、彼からは「俺は反知性主義ではない!」と、唾棄するが如く吐かれた反論が返ってきた。

 私は彼を尊敬している、否、あれほどの卓越した「存在」(知性だけではない、その行動力も含め、適当な言葉が見あたらないが「彼に心酔した」)を私は知らない。数十年にわたって濃密な人間関係を創り上げてきたが、だが、その時彼に微かな「違和感」を抱かなかったと言えばウソになる。「知性」なるものの話題とは一切無縁と思われる現総理大臣が登場する以前の話だったが。

 そう、彼は「反知性主義」ではなかったが、しかし「本来の反知性主義」でもなかったのではないか、との疑念が頭をよぎった。
 彼と、「菅原文太」について語り合いたかった。もちろん、「知性主義」者の彼は「仁義なき戦い」などは見ていなかったろうが・・・・・・。



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2015年03月25日

水木洋子『浮雲』

 ちょっと前(20日?)の朝日新聞 be「映画の旅人」は成瀬巳喜男「浮雲」。
 どうも優等生女優のイメージがつきまとってしまう高峰秀子ですが、森雅之とのどうしようもない男と女のあてどない道行きは、情けなくも哀れを催してしまいました。「なんでこんな男に!」なんていう感懐は林芙美子の独壇場でしょう。もちろん、高峰・森の名演技をくさすつもりはさらさらありません。
 「私は林さんほど男には絶望していない」という脚本家の水木洋子が、不実な男が女の死に向き合い号泣する場面をラストシーンとしてこだわり、成瀬巳喜男を押し切った、というエピソードが語られていました。しかし、号泣していた男が、原作同様、女の死の一か月後には再び女遊びに手を染めることもある、と思いました。そう、映画を見た時にも、この男はこれからどう生きてゆくのかと不安(笑)になったものです。ですから、水木さん、貴女の想いと、やはり林芙美子とは生きてきた世界が違うようです。

 それと屋久島です。あんな風に書かれたら、屋久島の人達は怒り出さないか、とも思いました。もう二人は「逃避行」ではないのにもかかわらず、「逃避行」としてしか屋久島へはたどり着けないのですから、踏んだり蹴ったりではないですか。ゆき子の終焉の地です。

 be で絶賛されたセットの伊香保温泉ですが、映画「浮雲」では、あの石畳階段で伊香保温泉とわかりましたが、単に鄙びた温泉街でしかなかったように記憶しています。
 私にとって、父親の伊香保温泉への社員旅行に連れて行って貰ったときの印象が強く残っています。左右に温泉宿が建ち並ぶ石の階段(そこでの射的屋!スマートボール!)は、華やぎとともに、子ども心にも哀愁を感じさせました。そして、翌朝、部屋のベランダ?から見た雲海の素晴らしかったこと。

 水木洋子は、今井正とのコンビでの「また逢う日まで」、「ひめゆりの塔」。そして極めつけは「純愛物語」です。そう、彼女は健康なのです。だから、今でも江原真二郎・中原ひとみが目に焼き付いている「純愛物語」が書けたのでしょう。子ども心に、「純愛物語」のラストシーンで、私は号泣してしまいました。
 「ひめゆりの塔」(1953年)と言えば、翌54年からは「新諸国物語・笛吹童子」が始まります。そう「純愛物語」も東映です。二本立て・こども40円?でしたか。毎週のように、日曜日の午前中は「映画館」でした。

posted by 風游 at 19:08| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

マリリン・モンロー「七年目の浮気」

 ビリー・ワイルダーに注目している(多分、三谷幸喜つながりだろうとは思いますが)が、この映画についてはやや点が辛い若い友人に対して、私は絶賛してしまいましたね。
 いゃー何がと言って、モンローの素晴らしい事! 可愛らしく、賢く、かつ貞淑でもあり、もちろん艶っぽく、肉感的。ワイルダーも意識的に衣裳をとっかえひっかえして、様々なアングルで、時折アップを混ぜて、彼女の表情を豊かに映し出していました。
 彼女が「世界の恋人」などと称賛されていたのもむべなるかな、と思いました。

 古い友人は、バークマンと並んでモンローを評価し、中でも「帰らざる河」を一押ししてました。
 今まで「食わず嫌い」だったモンローですが、改めて(両作とも初見でしたが・・・・・・いや、ものごころ着く前に観ていたかも知れませんが)今、較べて観ると、「七年目の浮気」の方が私の中では数段上でした。
 かの有名な「地下鉄からの風」の場面が、あっさりしすぎていたのが、やや残念(ディマジオよ!余計なことをするな!)。それにタイトルが、なんともミステークです。もちろん「ITCH」が俗語で「浮気」をさすのかも知れませんが、それでも、あざとい・・・

 モンローの魅力を堪能するための映画でした。


posted by 風游 at 22:17| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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