2012年03月26日

二十四節気

 3月26日、三日月、月の出は午前7時過ぎ、午後2時過ぎに南中し、帰宅途中の8時には、西の空に、その姿をくっきりと見せている。入りは9時半頃。しかし厳密には今日は、旧暦3月5日。とすれば、三日月はもっと細い?
 さて、去年だったか、喜屋武岬付近で、日没後のわずかな時間を西の水平線で過ごす「三日月」に遭遇。巨大とも言える三日月はシュールな「まるで絵のような」風景であった。
 深夜に上る「三日月」は、三日月ではなく「二十七夜月」である。なんてことを、高校時代の「古文」を思い出しながら、旧暦・不定時法関係をひもといてみた。

 「お江戸日本橋」の「七つ立ち」は、日の出(「六つ」)より約2時間前。太陽暦・定時法では午前4時出発となり、冬の高輪では「六つ」になっても、まだまだ提灯は消せないが、陰暦・不定時法では、冬だろう、夏だろうと 「六つ」で夜が明ける。それにしても、この唄で、日本橋から高輪まで、所要2時間ということがわかるが、まぁ大名行列の行進時間はそんなものか。いずれにせよ、「サマータイム」などと称しているが、この不定時法も悪くはない。それに、月の満ち欠けで、月夜ならば時間も分かる。もっとも、新月前後は無理だし、南中高度が分かっていなければ、月の形と高さで不定時法ではあれ、時間を知る事など出来はしないが(風游子、こっそり訓練してます(苦笑))。
 不定時法なら、那覇・東京間の「時差?」(経度差約12度、時間にして約50分)は意味を持たない。東京から沖縄に降りた途端、8時近くなっても、未だ明るいというのも定時法のなせるワザか(笑)。

 さて、沖縄通いをするようになって、旧暦が気になり、「沖縄手帳」(旧暦満載)などを買い求めたりした。清新なイメージを抱かせたウチナーグチの季候語は「ミーニシ」に尽きるが、日常的な言葉として、耳に入ってきたシーミーとかスーマンボースーとかも、てっきり旧暦の謂いだと早合点していた。しかし、シーミー(清明)などの二十四節気は、紛れもなく太陽暦である。暦に、しっかり太陽暦も取り入れている。まぁ、そうしなければ、月の運行では「年」は計れず、季節のズレは大きくなるばかりであるが。だから「閏月」の導入で強引に一年を13ヶ月としてつじつまを合わせた。先人もなかなかやる。だから旧暦と言えども正式には「太陰太陽暦」と言ってもよい。毎日の生活は「月」で、毎年は太陽で計るのは、簡便とも言えよう。今年は閏年、3月が二回ある。

 二十四節気だが、まずはっきりと見極められる「二至二分」から始め、「冬至」と「春分」の間に「立春」、「春分」と「夏至」の間に「立夏」、以下、「立秋」「立冬」と「二至二分四立」を定めた。ほぼ12ヶ月周期から一年を決めたが、一ヶ月を半分にして季候の目安を二十四節気と設定。つまり「二至二分四立」の間に二つの「節」を入れ、月初を「節気」、月半を「中気」とし、「二十四節気」を作ったそうな。古代中国では冬至を年始としていたらしいが、戦国時代に、冬至と春分の中間を春の始め=「立春」として春夏秋冬を定めたという。「二至二分四立」も、その後に四季が冠せられたそうな。天文学・暦法の何と美しいことか。こうなると陰陽五行説にも食指が動く(笑)。
 先の「清明シーミー」はwikipediaによれば、“万物がすがすがしく明るく美しいころ。『暦便覧』には「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。”とのこと。今年は4月4日[旧暦3月14日]。「小満スーマン」は、「立夏」の後、太陽黄経が60度のときで5月21日ごろ[2012年の旧暦で4月1日]。wikipediaに“沖縄では、次の節気と合わせた小満芒種という語が梅雨の意味で使われる。”とある。ちなみに「五月雨さみだれ」は梅雨の雨であり、「五月晴れ」は梅雨の合い間の晴れの日の謂いとモノの本にはある。うーん、奥が深い。

posted by 風游 at 23:59| 沖縄 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
えっ、26日は「惑星直列」!?
「トゥームレイダー」か、思ったら、
何のことはない、「木星・月・金星」が一直線に見えたとのこと。

三日月の頭上に輝く「宵の明星」には、さして驚かなかったが、
月の下には木星が位置していたのか。
(建物が邪魔して見えなかったのか、それとも光度不足か)

Posted by 風游 at 2012年03月27日 20:11
 今日、5月4日は旧暦では?

 スカイツリーの隣にやや欠けた満月。時間は7時。そう、十三夜の月ですよ。
 調べてみると、月齢12.8で旧暦では「閏3月14日」ですから、15日は満月ではない。月齢14.8が旧暦16日=5月7日です。

 曇り空でしたが、思わず「河岸の柳の行きずりに♪♪〜」と口ずさんでしまいました。あの榎本美佐江です。(もっとも元歌は戦前のヒット曲だそうですが)

M君が居なくて良かった、必ず「うるさい!」と言いますから。
Posted by 風游 at 2012年05月04日 23:05
 なんと、かつては沖縄本島と先島(宮古・八重山)諸島との間には「時差」があったことを知った。<安里進監修の『沖縄「地理・地名・地図」の謎』(実業之日本社2015)を読んで>

 1888年1月1日から、いわゆる「グリニッジ子午線」を基準にした東経135度 の時刻を日本の標準時として適用したが、その後1896年、日清戦争で「台湾」を植民地として併合したことによって、東経120度(台湾海峡を通過する子午線)の「西部標準時」を新たに定めた。この「西部標準時」は、台湾のみならず、先島諸島にも適用された。つまり日本標準時(中央標準時)が適用された沖縄本島と1時間の「時差」があったのだ。
 琉球処分時の分島改約問題でも明らかなように、日本政府は、沖縄と宮古・八重山を分断することに、いささかの躊躇もなかったようだ。

 ただ、この「西部標準時」は1937年「勅令」で「西部標準時に関する条」が削除され、再び日本の標準時は一つとなった。
 1931年の日本軍の謀略により発生した「柳条湖事件(「満州事変」)」から、「15年戦争」が開始されたわけだが、とうとう、この1937年7月7日には「盧溝橋事件」が勃発。これが発端となり日中間の全面戦争へと至った年でもある。



Posted by 風游 at 2015年04月02日 21:46
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。