2012年08月28日

冲方丁『天地明察』

 申し訳ないが、仰々しく「二十四節気」などの項を立てているくせに、イマイチ食指が伸びなかった。「本屋大賞」とか、直木賞にノミネートされたとか結構、評判になっていた。しかし、急に読み始めたのは、もちろん文庫化されたことにあるが(苦笑)、滝田洋二郎監督で9月15日に公開予定の映画化の広告を目にし、宮崎あおいが主人公の妻役だと知ったからである(笑)。それに、関孝和とか山崎闇斎とか、水戸光圀とか保科正之とかが脇!。
 碁打・安井算哲と改暦・渋川春海が同一人物であるとはうすうす知っていたが、関孝和と同い年とは。
 碁・和算・天文と、江戸初期、文治政治の先駆け風の時代背景を踏まえて、ミステリー仕立てで面白く読んだ。数学の問題の正解が「明察」と言うそうな。それにしても、「天才・関孝和」はともかく、「怪物・山崎闇斎」はもっと書き込んで欲しかった。

 そもそも、暦(陰暦=太陽太陰暦)は、百済を通じて6世紀頃、日本に伝えられ、平安期に作られた「宣明暦」(862年)が、以降江戸時代まで使われたが、如何せん「2日」のズレが生じていた。もっとも、800年間でたった2日間のズレしか生じなかった!とも言えるが。
 本書の中では「日蝕」「月蝕」の<予想比べ>というイベントを山場に、渋川春海が天体観測に基づいて、中国と日本の里差(経度差)を補正し、元代の授時暦を改良して「大和暦」を作成。これが正式に採用され、800年ぶりの改暦事業を果たした。貞享暦(1684年)がこれである。
 もちろん「暦」は、時の権威と権力の象徴であり、朝廷と幕府の暗闘やら、天文・暦法の官許専門家たる賀茂家や土御門家の暗躍などを織り交ぜて、二代将軍秀忠の「御落胤」・保科正之の指示で、御三家「黄門様」・徳川光圀、そして「大老・下馬将軍」・酒井忠清などの有力者の後ろ盾を得て、改暦事業を成功に導き、幕府は「改暦」の実権を握るとともに、暦の天下統一をも果たしたと云える。もっとも「日の丸・君が代」と並ぶ「元号」が天皇制維持三点セットと言われるように、「元号制定=改元」による「時」の支配は、残念ながら現在も続いており、その意味では、日本国は決して「近代国家」ではあるまい。

 Wiki-pediaによれば、“なお、800年ぶりの改暦は当時話題となり、井原西鶴は『暦』、近松門左衛門は『賢女手習並新暦』を執筆している”と。作中「おさん茂兵衛」(1686年、井原西鶴『好色五人女』、1715年、近松門左衛門『大経師昔暦』を書く。)のエピソードなど、当時の「暦事情」も語られている。

 ちなみに太陽暦は、ジュリアス・シーザーによって制定され、紀元前45年1月1日から実施されたユリウス暦が、1582年2月24日以降グレゴリオ暦に交代し、日本では1872年(明治5年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦1873年1月1日)とした。

 蛇足ながら、幕末にいたって、悲惨な結末を生じせしめた会津藩と水戸藩が、本作で、その実力者ぶりを遺憾なく発揮した二人の名君、保科正之と水戸光圀によって創られたという歴史の皮肉を思ってしまった。


posted by 風游 at 23:52| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TV放映を視聴!
地上波初?それにしては深夜とは!

宮崎あおいも岡田准一も、松本幸四郎も中井貴一も良かった。
ただ、関孝和の市川猿之助(亀治郎時代、大河ドラマ『風林火山』での武田信玄の「失敗?」で、私の中では低評価だった)はともかく、やはり山崎闇斎=白井晃が精彩を欠いていた。大河ドラマの「新撰組!」での清河八郎もニンではないと思った・・・・(三谷ドラマの『王様のレストラン』のソムリエ役は良かったが)

しかし、くり返すが、深夜枠とは「もったいない」。

Posted by 風游 at 2016年01月09日 22:16
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