2016年01月21日

京極夏彦『絡新婦の理』

 京極堂シリーズ(百鬼夜行シリーズというのが「公式」らしいが、『巷説百物語』も「又市シリーズ」の方が据わりは良くないか?)の第五弾である。
 推理小説の嫌いな友人は「あの、ノート執らなくちゃならない奴など読む気がしない」と言っていた。そう、お互い記憶力は頓に減退中。京極夏彦に嵌って久しいが、この『絡新婦の理』は、文字通りノートを執り、年表づくりまでしたくなる。「蜘蛛の仕掛け=理ことわり」が、何度読んでも鮮明な像が摑めない。

 若い友人は京極堂シリーズでは『鉄鼠の檻』を一押ししていたが、デビュー作の『姑獲鳥の夏』はともかく、『塗仏の宴』までは甲乙つけがたい。

 と言うことで『絡新婦の理』である。ラストシーンを冒頭に持ってきたから「犯人」の描写のミスリードぶりも許されるという京極夏彦の仕掛けであろう。そして章毎の視点が異なり、それに被せて時系列も錯綜している。たびたび、前の筋を振り返るが、それにも増して、次へ次へ読み進めたくなってしまう。後半の三巻、四巻はそれこそ、一気に読み耽ってしまった、三度も四度も読んでいるというのに。

 悔しいから、「伏線」というよりは、本線を進めるための、そしてミスリードを誘うために挿入された「エピソード」の絵解きをしよう。さあ、正誤や如何!

「第一章」これは解りやすい。川新と八千代だ。
「第二章」男は平野だ。女は? 始めは「茜」だと思ってしまった。そうか「葵」か、硝子細工の眼。まさか「一目惚れ」とは!
「第三章」女は「碧」、未発達の声帯。しかし男は杉浦だと解ったのは後の方だ。これは仕方ないと思うが如何かな。
「第四章」の女は芳江? とすると旦那様は雄之助。これも何度も読んでいたからだろう。このシーンを「茜」は何時、読み解いた? 否、読み解く必要はなかったのだ。
「第五章」男は喜市。女は果敢なげに吐息のような言葉を吐く、これこそ「茜」だ。

 どうでも良いことだが、大財閥総帥の柴田が海棠のような阿呆しか連れていないことがやや結構を外している。ただ第三巻・7章での柴田の「珍しい」激高は見過ごしていたが。

 京極堂シリーズ、否、京極夏彦の作品は、常連メンバーに準メンバーが加わって醸し出す「大舞台」もさることながら、前作の登場人物が後の作品に登場する仕掛けが、まぁ読者サービスなのだろうが、「大舞台」が「廻り舞台」のようで心地よい。『姑獲鳥の夏』での久遠寺医師や話の重要な鍵を握っていた菅野医師(もっとも、本人そのものは登場していない)が、『鉄鼠の檻』で「再登場」。同じ『姑獲鳥の夏』で「呪」をかけられた内藤も、そして『絡新婦の理』でただ一人生き残った織作茜も、『塗仏の宴』できちんと?オトシマエがつけられてしまった。

posted by 風游 at 19:04| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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