2014年11月22日

日劇《青鳥》/夏川結衣

 ユーチューブでとんでもないものを見つけてしまいました。「青い鳥」です。
 日?[劇=居に立刀という簡体字]《青?[鳥=これまた簡体字]》ですから、大陸系ですかね。
 http://www.youtube.com/watch?v=ZABQrnwVSVs

 このblogで「告白(笑)」したように、永島暎子に次いで、夏川結衣の「隠れファン」を自認していますが、彼女をはじめて知ったのが、この「青い鳥」(1997年、日テレ系で放映)でした。
 ついでと言っては何ですが、この時、永作博美も知りました。まぁ、余り売れなかったアイドルグループぐらいの知識しかありませんでしたが、独特の存在感を醸し出す、女優として再認識しました。そして、「不幸を身にまとっている永島暎子」に似ているなどと、ほざいています、2011年04月29日のブログ「8日目の蝉」では。

 夏川結衣の方は、全くの所見でしたが、ちょっと見た瞬間から、グーと惹きつけられましたね。
 でも、その後、結構売れっ子となり、「姉御肌で明るい性格」とか「横綱級の酒豪」などと言われているようですが、私にとっては今でも、前述したように「不幸が服着て歩いている」永島暎子の後継者です。
 もっとも、1992年のフジの『愛という名のもとに』(主演は鈴木保奈美、唐沢寿明)がデビュー作?。そして「青い鳥」の後には「死国」の明神比奈子役だそうです。さすが日浦莎代里役は栗山千明に譲っています。ちなみに永島暎子は「悪魔の手毬唄」とか「湯殿山麓呪い村」に出演しています。

 永作の方は、「八日目の蝉」ですが、なんと鈴木杏が2011年に公開された中上健次の『軽蔑』の主役を務めています。
 うーん、「青い鳥」にはまったのも、むべなるかな(笑)。
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2014年11月03日

京都去りがたし1 通唄

 「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦……」と、うろ覚えで、若い友人と地下鉄の中で暗唱するように口ずさんでいた。「四綾仏高松万五条」まで、なんとか辿りついた。「この後は、どうなんだろう」と言ったら、隣に座っていた上品な高齢の女性が「せったちゃらちゃらうおのたな、六条さんてつ(三哲?)通りすぎ、七条越えれば八、九条、十条東寺でとどめさす」と私たちに続けるように口すさんでくれた。雪駄屋町、鍵屋町、銭屋町、魚棚通……、鍵と銭を「ちゃらちゃら」とは。
 そして「一見さん」にもやさしい京都の「おもてなし」である。感心しきり、である。

 昔、六道珍皇寺を探していたら、松原通はかつての五条通である、と知った。そりゃそうだ、千年余も隔てれば、いくら京都でも変わって行くのは当たり前。とすると「丸竹夷二……」はどうなっているのだろうか。そんな疑問が湧いた。そして「一条は?」と。
 もう一つ、創建当時の平安京と較べるとやたら東に町並みが移動してしまっている。中心の朱雀門、朱雀大路はどうなっている、そんな疑問も浮かんだ。

 ということで、京都の「通(り)」である。

 さて平安京であるが、隋・唐の長安を真似て、平城京を踏襲し、山背(794年=お寺をナクシ=11月8日に山城と改名、21日に遷都)国に建設された東西4.5km、南北5.2kmの長方形に区画された都城。北端中央(一条から二条、大宮大路から西大宮大路)に宮城=大内裏(その内部に内裏=御所、禁裏、大内など=と呼ばれた帝の私的空間がある)を設け、東西南北に大路・小路を配置した。
 この地は、風水に基づく四神相応(東=流水=鴨川=青龍、南=湖沼=巨椋池=朱雀、西=大道=山陰道=白虎、北=山地=船岡山=玄武)とも言われているが、どうやらこの説が定着したのは江戸期のようだ。もっとも青龍門・白虎門はともかく、南面中央の「朱雀門」に対して、北面中央に位置する「偉鑒門」は別名を玄武門とも呼ばれていたので、当時から「四神相応」が観念されていたのだろう。
 もちろんこの風水・四神相応は「陰陽五行説」(木火土金水)に基づいており、方位(東西南北)や色彩(青赤白黒)だけでなく、季節(春夏秋冬)にも対応している。四つしかない、という勿れ。「土」は「中央・黄」であり、各季に「土(用)」が配置されている。青龍・白虎などの霊獣で言うと「黄龍おうりゅう」もしくは「麒麟」となるそうな。
 
 ちなみに、「東」は「春はる」だが、ウチナーグチでは「東」は「アガリ」で、「西」は「イリ」、「北」が「ニシ」である。もちろん「東風吹かば……」の「東風」の「コチ」は「東風平こちんだ」などに残る。「南」は「ヘー(フェー)」、「南風」は「フェーカジ」とも「ハエ」とも、「南風原ハエバル」である。

 本来の平安京の北限の一条大路は現在の今出川通と丸太町通の中間にある一条通、南限の九条大路は現在のJR京都駅のやや南の九条通、東限の東京極大路は現在の寺町通にあたる。西限の西京極大路は推定するしかない。JR嵯峨野線花園駅や阪急京都線西京極駅を南北に結んだ線(概ね現在の葛野大路通付近だが、これは西京極大路の東隣の「無差小路」か)と言われている。
 もっとも、東へ発展してゆくのと併行して、平安時代後期になると、内裏が消滅した(朱雀門以北の旧大内裏の地域は「内野」と呼ばれた)こともあって、都域は北へ広がり、街路も北進した。これが朱雀大路の北進として今につながる、千本通である。鎌倉時代にはすでに「千本通」と呼ばれるようになっていた。

 内裏は平安期から火事などで焼失、さらに戦乱などによって荒廃したために、天皇外戚の邸宅などが仮皇居(里内裏)となり、院政期以降になると、平安宮内裏の有無に関わらず里内裏を皇居とする例が一般化したらしい。土御門東洞院内裏は、この里内裏の一つで、六条天皇と高倉天皇の里内裏を経て後白河上皇の所有となり、その後、承久の乱後紆余曲折を経て後深草天皇に譲られ、いわゆる持明院統の御所となり、足利幕府が擁立した光厳天皇(北朝初代)は土御門東洞院殿を改めて里内裏とした。これが現在の京都御所の元となった。現存する建物は幕末の1855年(安政2年)、平安様式に倣って再建されたもので安政内裏とも呼ばれた。

 なお通唄が、丸太町通から始まっているのは、現在の京都御所(内裏)の南面に面しているのが丸太町通であることに依っているのではないか。ある意味で丸太町がかつての二条大路に当たっている。とすれば御所北面の通りが今出川通りで一条大路に擬せられる(と勝手に思っている)。

 Wikipediaによれば、10世紀初期の『延喜式』においては、朱雀大路を除く他の大路が8丈(約24m)、小路は4丈(約12m)と決められていた。そして固有の街路名は「朱雀大路」が見えるだけで、外周を「東極大路」、「南極大路」などと示しているのみであるという。通り(大路小路)が固有の名称を持つ時期は定かではなく、自然発生的に生じたと考えられるが、10世紀後半には、町尻小路・町口小路、室町小路、油小路、具足小路(錦小路)、綾小路、塩小路などの名称が用いられ、とある。そして戦国時代末期には、現在使われる「〜通り(とおり)」という表現で呼ばれるようになり、現在にも伝わる新しい名称が多く生まれ、近世に掛けて定着していった。また、この時期、京都の町割に大きな変更を行ったのが、太閤秀吉である。御土居を築造し、寺町通・室町通間及び堀川通以西で半町ごとに新しい街路を南北に通す、いわゆる天正の地割を行った。

 しかし、平安京の「通」は、なんと言っても南北(子午線)に貫く「朱雀大路」である。宮城たる大内裏の正門として朱雀門があり、朱雀大路の南端、すなわち九条通との交差点が羅城門である。約4キロメートルの直線で、道幅はなんと幅28丈(約85メートル)もあったそうな。

 ということで「京都町歩き」は「京通唄プロローグ」として、朱雀大路から(笑)。

京都の通り歌【初音ミク】
http://www.youtube.com/watch?v=cYdB3iFBFic&feature=related

京都・東西の通り名の歌「 丸竹夷二…… 」 
http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/GALLERY/show_image.html?id=46427639&no=2





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2013年04月02日

京極夏彦『西巷説百物語』

やっと出ました!『西巷説百物語』。
御行の又市話とは全く仕掛け(小説の)を異にする靄船の林蔵が主人公である。

第一話(桂男)では、まんまと騙されたせいか、第二話(遺言幽霊 水乞幽霊)では、「もう騙されないぞ」と覚悟(苦笑)しましたが、逆に、第二話はかなり早い段階で話の造作に辿りつきましたね。
第三話は、由良昂允伯爵のテイストか?
さて、読み進めるのがもったいなく、まだ三話である、半分も行っていない。
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2013年02月08日

ポール・ニューマン『暴力脱獄』

 ポール・ニューマンファンとしては食指が動いたが、如何せん『暴力〜』というタイトルに引っかかってしまっていた。ところが、なんと、邦題はメチャクチャだった。原題は「Cool Hand Luke」。
 横文字に疎い私としては、語感から「冷静な男」などとイメージしてしまったが(まぁ、それでも邦題よりはマシか!)、ポーカーでの“いいテ”を指しているようだ。もちろん、ハッタリでの勝利の時に、うそぶくセリフだが、「ポーカーフェイス」と二重写ししてしまった。「クール」は格好いいとか素敵とかの意味もあるが、“Cool Hand”には「図々しい奴」とかの意味もあるらしい。

 ちょっと調べて驚いたが、マーロン・ブランドとは一歳違い。ポール・ニューマンの方がもっと若いと思っていた。スターになったのがマーロン・ブランドよりかなり遅れていたからの勘違い。それに、売れ始めた頃、「第二のマーロン・ブランド」などと言われ腐っていたらしい。

 映画に戻ろう。一緒に鑑賞した、若い友人は、ちょい役で出たデニス・ホッパー(『イージー・ライダー』の監督兼主演、もう一人の主演は言わずと知れたピーター・フォンダ)に気がついたり、「これはアメリカン・ニューシネマか」とつぶやいてもいた。『暴力教室』の正統的社会派の系譜に連なるが、言われてみれば、アメリカン・ニューシネマの趣もある。『暴力脱獄』の1967年には、アメリカン・ニューシネマの先陣を切ったと言われている『俺たちに明日はない』、そして69年に至って『イージー・ライダー』、『明日に向って撃て!』、『真夜中のカーボーイ』である。

 さてWiki-pediaによればポール・ニューマンは、1960年代から70年代にかけて積極的な反戦運動ならびに公民権運動を展開。活発な運動と過激な発言は、当時のニクソン大統領から「ホワイトハウス・ブラックリスト」にも、その氏名が記載され、ブッシュ政権の富裕層減税に対して「私のような富豪から税金を取らないのは馬鹿げている」と批判した、とある。

 マーロン・ブランド、ポール・ニューマンの衣鉢を継ぐのはブラッド・ピットだと思っているのだが……(苦笑)
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2012年12月21日

ドナ・リード『素晴らしき哉、人生!』

 もはやハリウッドのクリスマス映画としては定番ともなったもの。なぜかまた見てしまいましたね。何十年ぶりでしょう。とは言え、ここに書き込むのは、映画としても「佳作」ではあるが、何を隠そう「ドナ・リード」についてです。というよりも、「あれ?バーグマン?」って第一印象で思ってしまったのですよ。
 これといって彼女の見せ場があるわけではないのですが、見入ってしまいましたね。正統派女優ですかね。バーグマンより5〜6歳年下です。

 wiki-pediaによれば“『地上より永遠に』(1953年)でアカデミー助演女優賞を受賞……ベトナム戦争に際しては、反戦運動を行った”とあります。
 『素晴らしき哉、人生!』は、アメリカ映画協会「アメリカ映画ベスト100」では11位にランクインしていますが、彼女は1999年6月に発表した「女優ベスト25」の中には残念ですがありません

 映画そのものに戻れば、これも一種の「アメリカンドリーム」なのでしょうかね。ちなみに先のアメリカ映画協会が選ぶ「感動の映画ベスト100」では堂々の1位でした。
posted by 風游 at 15:29| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月23日

村上春樹『国境の南、太陽の西』

 大ベストセラーを連発しているが、ほとんど興味が湧かなかった。しかし、社会現象とさえなり、単行本から文庫へ、どの本屋でも平積みされている『1Q84』を見るたびに、「読んでみるか」と思ってはいた。
 そんな時、ふと眼に入ったのが本書である。何よりタイトルに惹かれたと言っても良い。まぁ、その時点で「村上春樹の勝ち!」か。なにしろ、沖縄を思い出しても、ナット・キング・コールは思い浮かばなかったのだから。(苦笑)

 しかし、正直なところ、五分の一?四分の一ぐらいまで読み続けるのがしんどかった。「ライトノベルの純文学?」それとも擬私小説風青春モノ(あるいは私擬小説風)?はたまたミステリー。齊藤美奈子なら「不倫小説!」と切って捨てるところか。
 一人称の荒唐無稽話と何かしら意味ありげに書き綴られる心理描写は「推理小説」や「冒険小説」「謀略小説」ならともかく、「私小説の伏線」は辛いモノがある。

 村上春樹はアートである。
 若い友人が力説していたが、「エンタメにもならないアートとはなんぞや」と切り返せばよかった。

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2012年08月28日

冲方丁『天地明察』

 申し訳ないが、仰々しく「二十四節気」などの項を立てているくせに、イマイチ食指が伸びなかった。「本屋大賞」とか、直木賞にノミネートされたとか結構、評判になっていた。しかし、急に読み始めたのは、もちろん文庫化されたことにあるが(苦笑)、滝田洋二郎監督で9月15日に公開予定の映画化の広告を目にし、宮崎あおいが主人公の妻役だと知ったからである(笑)。それに、関孝和とか山崎闇斎とか、水戸光圀とか保科正之とかが脇!。
 碁打・安井算哲と改暦・渋川春海が同一人物であるとはうすうす知っていたが、関孝和と同い年とは。
 碁・和算・天文と、江戸初期、文治政治の先駆け風の時代背景を踏まえて、ミステリー仕立てで面白く読んだ。数学の問題の正解が「明察」と言うそうな。それにしても、「天才・関孝和」はともかく、「怪物・山崎闇斎」はもっと書き込んで欲しかった。

 そもそも、暦(陰暦=太陽太陰暦)は、百済を通じて6世紀頃、日本に伝えられ、平安期に作られた「宣明暦」(862年)が、以降江戸時代まで使われたが、如何せん「2日」のズレが生じていた。もっとも、800年間でたった2日間のズレしか生じなかった!とも言えるが。
 本書の中では「日蝕」「月蝕」の<予想比べ>というイベントを山場に、渋川春海が天体観測に基づいて、中国と日本の里差(経度差)を補正し、元代の授時暦を改良して「大和暦」を作成。これが正式に採用され、800年ぶりの改暦事業を果たした。貞享暦(1684年)がこれである。
 もちろん「暦」は、時の権威と権力の象徴であり、朝廷と幕府の暗闘やら、天文・暦法の官許専門家たる賀茂家や土御門家の暗躍などを織り交ぜて、二代将軍秀忠の「御落胤」・保科正之の指示で、御三家「黄門様」・徳川光圀、そして「大老・下馬将軍」・酒井忠清などの有力者の後ろ盾を得て、改暦事業を成功に導き、幕府は「改暦」の実権を握るとともに、暦の天下統一をも果たしたと云える。もっとも「日の丸・君が代」と並ぶ「元号」が天皇制維持三点セットと言われるように、「元号制定=改元」による「時」の支配は、残念ながら現在も続いており、その意味では、日本国は決して「近代国家」ではあるまい。

 Wiki-pediaによれば、“なお、800年ぶりの改暦は当時話題となり、井原西鶴は『暦』、近松門左衛門は『賢女手習並新暦』を執筆している”と。作中「おさん茂兵衛」(1686年、井原西鶴『好色五人女』、1715年、近松門左衛門『大経師昔暦』を書く。)のエピソードなど、当時の「暦事情」も語られている。

 ちなみに太陽暦は、ジュリアス・シーザーによって制定され、紀元前45年1月1日から実施されたユリウス暦が、1582年2月24日以降グレゴリオ暦に交代し、日本では1872年(明治5年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦1873年1月1日)とした。

 蛇足ながら、幕末にいたって、悲惨な結末を生じせしめた会津藩と水戸藩が、本作で、その実力者ぶりを遺憾なく発揮した二人の名君、保科正之と水戸光圀によって創られたという歴史の皮肉を思ってしまった。


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2012年08月07日

池澤夏樹『カデナ』

 文庫になった。買ってしまった。
 池澤夏樹の小説に関しては『静かな大地』ぐらい知らない。ただ彼が沖縄に住んでいた時期はあの「少女性暴力事件」が起こり、今日に続く併合後の新たな「島ぐるみ」闘争が始まった。彼は、誠実とナイーブがない交ぜになったような「普天間移設先」を提案するという、或る意味では愚かしい提言もし、ルサンチマンに満ちたウチナンーチュから「糾弾」を受けたとも聞く。その顛末は不詳ではあるが、少なくとも10年も住んでいた(これも「植民者」と罵られたか?)から、沖縄への「愛」は豊富だったのだろう。

 「沖縄戦」を体験していない3人(もっとも、一人は戦後生まれ)と、北ベトナムの「工作員」。帯には「たった4人で100万人の命を救う方法。」とあったが、いささかミスリードの感は否めない。しかし、奥間ビーチからアブチラガマまで、三人が織りなす沖縄は、まったく違和感を感じさせない。
 馳の場合は、何かしらこだわりがあった分、話が上滑りになってしまったが、こちらは「ベ平連」だ、人を信じるのに急! そして、当然にも「素人」に限りないシンパシー!
 「いってみれば中からおちょくる話だから、軽くしたい」(帯より)という作者の「言い訳」(笑)も、まぁ、そのまま受け取って、「沖縄」を堪能しましょう、というところか。

 それにしても、そうか、フリーダは、そんな風に生きて行くのか。


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2012年07月01日

森見登美彦『宵山万華鏡』

 かつて高校生の時、「宵山」なるものを見んと、一人で「阪急電車」に乗って四条河原町まで遠征した。まだ市営地下鉄は無かったが、京都市に入ると阪急電車は地下に潜った。年がばれる(笑)。それ以来、宵山は格別の「京都」になった。とはいえ、二度目に訪れたのは、何十年も経ってからのこと……。
 山鉾巡行は、その時が初見。御池通が有料観覧席?多分三条河原町辺りではなかったろうか、芸妓さん(舞妓さんではない)の一団に接近遭遇。梅雨明け前の蒸し暑い中、いかにも涼しげに談笑していた。

 さて、森見登美彦『宵山万華鏡』である。文庫化で即購入。朝日新聞連載の「聖なる怠け者の冒険」の時に拾い読みしていたが、「宵山」にビビッと来てしまった。小松和彦の『京都魔界案内』という名著があるが(なんと解説は京極夏彦である)、虚実ない交ぜ、というより、まぁ、ファンタジーですな。すべて「タネ」がある、と思わせておいて、とうとう「謎」は「謎」のまま、「大団円」?その意味ではタネがあると思わせた分だけ、損をしている、というのが率直な感想。意味のない荒唐無稽さに徹すれば、それもまた良し、であるのに。
 次は京大つながりで万城目学か(笑)。そうだ、京都に行こう!大飯の帰り道か!
posted by 風游 at 22:59| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

馳星周『弥勒世』(上)

 「地球上で帝国主義が終りを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」(伊波普猷「沖縄歴史物語」)

 馳星周は映画の『不夜城』しか知りませんでした。が、しかし、「ミルクユ」です。でも、慎重に「上巻」だけ購入(笑)。渡辺保の『黙阿弥の明治維新』に引っかかって、ずっとツンドクでした。主人公の金城武がミスキャストでは?と思ってしまった映画『不夜城』ですが、山本未来(山本寛斎の娘)と鈴木清順がいい味出していたのを覚えています。
 立ち読みで、1969年11月日米共同声明を挟んで、どうやら話は展開します。「コザ暴動」がヤマ場?「荒唐無稽のバイオレンス物」に仕立て上げるには、いささか……

 と思って読み進めたら。仰天。そうか、バイオレンス物とばかり思っていたが、ラブロマンスか。
 仁美の「どうしてこんなに好きなんだろう」というリフレイン。そして尚友の“なぜこの女なのだろう? なぜこの女でなければならないのだろう?”というつぶやき。

 そして、「自分の意志で涙をとめていた女が、静かにひっそりと、おれの腕の中で泣いていた。」
 これで、上巻終了。すぐ下巻を買いに走りました(笑)

 「ビーサン」は「草履」、「タコライス」(なにしろ私の先輩は「何だ、たこが入ってないじゃないか」と真面目な顔をしてつぶやいたのを昨日のように思い出します。)は「ターコライス」、そして「沖縄復帰協会」に「ヴェトコン」……。これらは話の展開にまったく関係ないし、重箱の隅を突くようなことは止めましょう。復帰協の桃原用行副会長に、社大党の安里(積千代)委員長、全軍労委員長はまだ存命(上原康助さんの「40年記念式典」での挨拶は結構評判を呼びました)なので別名なのでしょうか、いずれにせよ、よく読み込んでいます。もっとも、当時のコザのアシバーにはせせら笑われるでしょうが。
 私が知っているのは「百円弁当」と「ミスターコーラ」です、もちろん72年5月15日以降の話。

 船戸与一の、ねばりつくような文体と神経をささくれ立たせる文脈に較べれば、はるかに滑らか。そもそも感情移入したら手酷い目に遭う船戸に対して、馳はやさしい。同時に購入したのが、船戸の『夜来香海峡』ですから、ご容赦。

 さて「下巻」は、當銘愛子は……

 そうだ、慌てて付け加えますが、
 「泣いてもいい、しかし自分の意志で涙を止められる女になりなさい。」とは、有川浩『阪急電車』での宮本信子演ずるおばあさんの名台詞でしたね。
posted by 風游 at 20:00| 沖縄 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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